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資料

2013年11月18日 (月)

長崎新聞に特集されました!

20131118

まちづくりブログも活かしておかなきゃ

2012年10月 6日 (土)

とっとって(つづき)

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とっとって紹介

 Tottotte


長崎新聞とっとって9/23に、森岳界隈を特集していただきました。(実は事務局長把握しておらず、hp掲載が遅くなってしまいました。

 どおりで県内あちこちから問い合わせが殺到したわけです。NIBテレビのレンコン掘り予告編もかなり効果があったようです。20121003tottoよろしく!

さあ青空文化祭だ

 初め森岳商店街の通りに面する駐車場でスタートした「青空文化祭」は第3回だったか4回だったか、島原駅前広場で「島鉄のって乗って祭り」とのジョイントでピークを迎えた。

 その後青空文化祭は拠点イベント型から街中周遊型に移行し、そぞろ歩きに「野の花」を添えるようになった。

 今年で8回目となるレンコン掘りに燃えるようになって、会場が分散し、野の花に誘われての街中周遊がちょこっと下火ではありますが、上田宝飾時計店周辺にフリマが登場し、にぎわいを取り戻しつつある。

 ただ「森岳のそぞろ歩き」はもはや期間限定のイベントではなく、日常的な風景になりつつあるともいえる。カタカナで言えば……「心ゆたかな時間を過ごせる街」というコンセプトのもと、「歩いて楽しめるまち」は森岳だけでなく島原の代名詞になりつつある。

 さあ皆様。野の花に誘われて『森岳界隈の散策』をお楽しみください。

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2012年2月16日 (木)

島原中心市街地街づくり推進協議会

 (事務局より)

 「新しい公共の場づくりモデル事業」の要件の中に、マルチステークホルダーという意味不明カタカナがある。「多様な主体がまとまれ」というような意味だという。

 森岳まちづくりの会単独でなく、森岳商店街や、市役所関係部署、(今後正式に呼びかけていくが)観光ボランティアガイドさん、島原中心市街地街づくり推進協議会、町内会?などなど。いろんな団体と一緒にというわけである。

 その呼びかけ団体の一つに、「島原中心市街地街づくり推進協議会」もあがっていて、今後行動をともにしていきたいわけであるが、団体名の終わりに『協議会』とあるように、既にこの団体は、多様な主体がまとまっているのである。

 この団体は災害復興の島原市のまちづくりを推進するために集まった団体で、実はその協議会に、森岳まちづくりの会も森岳商店街も参加済みなのであります。

 というわけで、「島原中心市街地街づくり推進協議会」の扱いは、いいとこ取りでバージョンアップがいいのだと思っています。

 元々、こうした団体は長く続くとマンネリに陥るわけですが、森岳まちづくりの会としては、これまでも、協議会の一部を担う委員会(森岳まち並み研究会)として、予算を使わせていただき、視察研修などにも『口』だしして、希望の先進地を入れ込んでもらってきました。講演会なども、同様。結果オーライで、色々勉強させてもらい。会そのものもマンネリに陥ることなく、育っており、そこに貢献してきた自負もあるわけです。

 さて、その「島原中心市街地街づくり推進協議会」の方で準備した企画がありますのでいくつか紹介したいと思います。皆様の積極参加を期待します。(つづく)

2011年8月25日 (木)

街路灯顛末

1999年3月に島原新聞に5回にわたって掲載したもの。

ここにも、森岳の考え方(コンセプト)が色濃く反映されています。参考のために転載いたします。

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街なみを演出する森岳の街路灯
 このたび十一回目を迎えた「まち並景観賞」の大賞「景観賞」の一つに森岳商店街から『猪原金物店・速魚川ギャラリー』が選ばれました。昨年の『絃燈舎・和楽器みうら』に続く快挙で、道を挟んでお向かい同士に島原らしい建物が並ぶことになります。
 これまで十回で百件(うち景観賞二十六件)が選ばれていますが、私どもの森岳商店街区内から『中屋商店』『大手門交番』『島原駅』『中村眼科ポケットパーク』『いけす割烹花みずき』『藤田屋本家』の景観賞以外にも奨励賞保全賞など既に十数件が選ばれており、この度これらの建築群をつなぐように建てられた『森岳商店街街路灯』も「協力賞」に選ばれ、まさに島原らしい優れた街並として折り紙をつけていただいたわけであります。
 また今回はアーケード街に点在する、湧水施設群も[奨励賞]に選ばれ、島原らしさが線から面に広がりを見せ、街なかに活気が湧いてきます。
 もちろんこれらすぐれた建築物は、施主さんの理解、設計施工者の技術・センスに負うところが大きいのですが、ここ数年来商店街ぐるみで街並のことを考えてきた森岳商店街としては、そうした考え方が評価されたことを嬉しく思います。 
 ここに私どもの街路灯の仕掛けを紹介することで、市民の皆様に街並やまちづくりのことを考えていただくキッカケになり、島原がより住みやすい素敵なまちになることを願ってペンを取った次第であります。しばらくお付き合いください。
●どのようにしてデザインを決めたか。
 雲仙普賢岳災害の渦中、危機感の中で立ち上がった森岳商店街では、商店街の将来像を描くとき、商店街を単なる買い物の場としてとらえるのではなく、自分たちが住みたい街にしようと漠然と考え始めていました。まちづくりの会を結成して、島原城に武者のぼりを上げたり森岳文化祭を開催したりしたのはそうした思いからでした。
 平成八年度に空き店舗対策に取りかかったときも、不足業種は何かではなく、「どのような街にするのか」が重大事でした。そして私たちは『心ゆたかな時間を過ごせる街』という共通の目標(コンセプト)を作りあげたわけですが、この一行の言葉をひねり出すのに数年間続けてきた勉強会や視察研修の資料を元に二十数回の会議を重ねました。
 平成九年度になって空き店舗対策実験事業として『心ゆたかな時間を過ごせる街』にふさわしい店を空き店舗に募集しました。それが景観賞までいただいた『絃燈舎』であり、『麦酒庵もり岳』『月光堂』『酒蔵』などでありました。私たちはこの空き店舗事業にかかる話合いと並行して、腐食の進む旧街路灯の建て替えを考えました。『心ゆたかな時間を過ごせる街』にふさわしい街路灯はどんなデザインか。たかが街路灯のデザインといわれるかもしれませんが、私たちはこのデザインを決定するためにさらに三十数回の会議を行いました。                                    

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街路灯に込めたまちづくりへの思い 
●道祖神をイメージ
 島原には猿田彦大神や水神など地域の人の平安を願う道祖神がいたる所にあります。そして道の辻々には道しるべがあって、旅行者にやさしい配慮がしてあります。だから森岳の街路灯の基本形は道祖神をイメージして素材に島原石を選んだのでした。
●昼間も活きる街路灯
 街路灯というと、夜のことだけ考えがちになります。森岳商店街は島原では一番遅くまで店を開けている店が多いのですが、深夜営業の都会の街ではありません。つとめ帰りや散策の人たちが安心して歩けるぐらいの明るさがあればいい。遠くから蛾をおびきよせるようにコウコウと明るくするのはエネルギーの無駄遣い、地球に優しくしようではないか。 夜だけ役に立って、昼間は邪魔物では困ります。そこで[みちしるべ]の要素を強く打ち出して昼間の活用を考えました。街路灯側面のプレートの活用です。ここに心ゆたかな時間を過ごせる仕掛けがたくさん盛り込んであります。これは紙面を改めていくつか紹介します。
●店名の表示がない
 今回の建て替え工事には、災害義援金基金などからかなりの助成をしていただきましたが、工事費の一部と今後の維持管理は商店街会員の自己負担であります。その分宣伝ぐらいさせろというのでこれまでの街路灯にはよくスポンサー店名が入っていたものです。しかし街を訪れた人の目にはどう映るでしょう。個々の店の利害が見えたり、街路灯の所有権を主張しているようでけして感じのいいものではありません。というわけで、まちぐるみでおもてなしをしようではないかと、店名の表示を外し、かわりに「道しるべ」等を入れたのであります。
●景観に配慮(電線の地中化)
 自然石の街路灯は石垣の多い周辺の風景に同化してしまって、あまり目立ちません。城下町であるという歴史を大切にすれば島原城より目立ってはいけない、むしろ引き立て役にならねば。町全体でもてなそうと考えれば、街路灯は街並の雰囲気作りの役目が与えられている。リピーター(何度も来てくれるお客さん)を大切に考えている森岳商店街では、突飛なデザインでびっくりさせるより何度訪れても飽きの来ない自然素材の本物を提供したい。
 七万石坂の背の高い街路灯は、工事費が割高になるのにあえて電線を地下埋設しました。少しでも島原城~島原駅のシンボル通り(七万石坂)がすっきりするように、島原駅に降り立った旅人が、森岳商店街に「心ゆたかな時間」を予感してくれるように、願って。

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街路灯歴史散歩
 森岳商店街の街路灯には電気代等を負担している店の店名看板を付けることはせず、街を散策する人のために[道しるべ][地名・歴史の紹介][短歌・俳句][しまばらふるさといろはカルタ]などを、落ち着いた色合いのプレートにちりばめました。
●道しるべ
 [↑島原驛歩いて五分][→島原城入口四〇〇米]など辻々にはわかりやすく道案内を表示しました。かといって大きすぎると街の雰囲気を壊してしまう。道に迷った旅人がきょろきょろすれば目に入る、自動車の人は徐行しなければよく見えないくらいの(歩行者優先の)文字の大きさにしました。プレートの大きさ、字体、色、フチの太さなど、これも会議に会議を重ねて決めたのでした。
●島原街道を歩いた歴史上の人物たち
 司馬遼太郎も紀行「街道をゆく」で島原を取り上げたように、古来島原は歴史的にも興味深いところで、歴史上の人物や多くの文人たちが訪れています。
 坂本竜馬や勝海舟も島原街道を歩き、吉田松陰は島原藩砲術指南宮川氏の元に勉強に来ている。宮本武蔵が島原の乱に参戦したことを知り武蔵は江戸初期の人だったのかと再認識する。へー夏目漱石や斉藤茂吉も島原に来たのか。そんな歴史上の出来事もプレートに刻んであるから、森岳界隈を散策すれば歴史の世界にタイムスリップできる。北原白秋や与謝野鉄幹ら若い詩人たちは、島原から天草にも足を伸ばし、東京に戻ると異国情緒あふれる詩を発表した。島原天草のキリシタンブームは彼らが全国区に仕立てたのだ。
 こうした歴史や森岳地区に点在する史跡を紹介するに当たって、私たちは郷土史家の三原義男先生や松尾卓次先生にたくさんのことを教えてもらいました。
●しまばらふるさといろはカルタ
 島原の子供たちに伝えたい島原の歴史をいろはカルタにしてまとめたものが「しまばらふるさといろはカルタ」で、『さかきばら郷土史料館』の榊原武之先生の苦心の作であります。子供たちにまず島原の良さを知ってもらい郷土に誇りと愛着をもってほしい。
 [大変の翌年生まれた稽古館]のプレートを見て子供が親に「これ何て読むと?」と問う。「けいこかん」と答えて、親はあとで辞書や本で確かめてみる。二百年前の寛政の大変、この未曾有の災害は五年や十年そこらで復興できるものではない。時の為政者は百年の計を立てて人材の育成こそが最も肝要なことと困窮財政のなか学校[稽古館]を開いたのである。こんなすばらしい歴史を島原は持っているのである。親子の会話から、親もまた島原の良さを再発見する。
 昨春、街路灯の完成を記念して三原・松尾・榊原三先生による歴史講座を速魚川の脇で開催したところたくさんの方たちが聞きに来てくれました。そこで私たちは図に乗って今年も森岳春爛漫市(3/20~22)の期間中に歴史講座を企画しています。請うご期待。

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街路灯歌めぐりⅠ    ───  森岳商店街街路灯に刻まれた短歌・俳句
 私たちは島原(半島)を訪れた文人たちが実際この地で詠んだ短歌や俳句を街路灯のプレートに刻むことで島原を紹介しようと、島原(半島)で詠まれた作品をリストアップしました。するとそこには莫大な数の作品がありました。
 その中からだれもが知っているような作家を中心に選びました。子供たちが、教科書に出てくるような有名な文士が島原を詠んだ短歌や俳句を目にすることで「島原ってすごいところなんだな」と思ってくれるように。高浜虚子、河東碧梧桐、水原秋桜子、若山牧水、与謝野晶子、吉井勇、角川源義、そして種田山頭火、すごいメンバーの作品群。どれを選びどれを外すか。
 今回の文章をあえて記名記事にしたのは、この歌選びの実質責任を明らかにしておかないとあちこちに迷惑が及ぶと思ったからであります。実は私、文学部国文学専攻だったのもあってどうしても引き下がれない一線がありました。それは地方(島原)の現代作家の扱いでありました。たまたま教科書に取り上げられた作家の俳句と島原新聞に載ってる例えば平尾みさおさんの俳句とを比べてみてください。教科書の俳句は一流で島原新聞の俳句は二流でしょうか。作家の名前を隠して純粋に作品を見れば、島原の現代作家はけして有名作家に負けてはいません、いやむしろ島原の風物を詠ませた場合など、はるかにすぐれています。
 [紅梅を透きて白亜の天守閣](圭太)赤と白の色の対比といい奥行のある臨場感といい、この句は正岡子規の理想とした《写生》そのものではないでしょうか。
 [紅梅にはじまる城の花暦](みさお)ここには最も島原らしい季節感があり、わずか十七文字で時の流れまでも感じさせることに成功しています。
 俳句にも短歌にもたくさんのグループがあり、作品はいずれも優れているのにあの人は選ばれこの人は選ばれないということで必ず苦情があるだろう、それならいっそ島原の作家は選ぶまい。という考え方も一方にありましたが、その結果、有名作家よりはるかにすぐれた全国に通用する作品があるのにそれを紹介できなければ、いつまでたっても地方ゆえの劣等意識から抜けられない。だからあえて一部でもいいから島原の作家の作品も採用しよう!と責任のない一委員である私は強引に主張しました。
 考えてみれば、光永建一会長には、街路灯建設費用の銀行借り入れについてだけでも保証人として頭が痛いのに、こうした感情的なトラブルの元になりかねない責任問題まで引き受けてもらったわけです。そんな会長をねぎらう間もなく、私たちは次ぎなる無理難題を持ちかけたのであります。(つづく)         

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街路灯歌めぐりⅡ   ───  森岳商店街街路灯に刻まれた短歌・俳句
 街路灯のプレートに島原のすぐれた俳句、短歌も紹介することになり、私たちが選んだ俳句の候補を平尾圭太先生にみてもらって決定しました。もちろん圭太先生と奥様のも入れておいたのですが、照れくさそうに恐縮しながら、奥様のは昨報の[花暦]の句に差し替えられました。夫婦で紅梅を詠んだことになり何かほのぼのとします。
 [雪のごと火山灰(よな)降る夜を蔦の葉に蛍火ひとつ息づきてをり](清水トシヱ)火山灰の降りしきる災害の中、明日を信じてじっと耐えていた人々の想いを蛍に託して詠いあげた見事な歌であります。あの災害を乗り越えた島原の歌人たちは流派やグループの垣根を越えて一冊の歌集『普賢噴火の下で』をまとめました。この歌集を中心に短歌を撰び、この歌集の編集に苦労された清水トシヱ先生に相談をしました。「私のまで入れてもらっていいんですか?」と最後まで遠慮され、完成間近になって、自分のは削って島原の短歌に功績のあった故松村浩生さんのを入れてくださいと申し出がありましたが間に合わずお断わりしました。(後日短歌会のご希望で、松村氏の奥様に選歌してもらい別途発注し上の町パストラーレ横の街路灯に追加設置されました。)
 さて問題はこれからです。今上(平成の)天皇陛下の歌であります。
 何千人もの島原市民が生活の場を追われ避難を余儀なくされていた頃、体育館の床に敷かれた畳の間の通路を大臣たちは空しい口約束をしながら通りすぎて行きました。そんな中、天皇皇后両陛下の異例のお見舞がありました。そこでは大臣たちの対応では考えられないことが起きたのでした。両陛下は堅い通路にひざまづき、人々の座っている畳より一段低い所から老婆たちの手を取ってねぎらいのお言葉をかけられたのでした。
 そんな両陛下はいつも島原のことを念頭におかれておいでで、平成八年の歌会始でも、[四年余も続きし噴火収まりて被災地の畑に牧草茂る](御製)とお詠いになりました。この御製を是非ご紹介したいと考えました。
 しかしさすがの光永会長もこれには頭を痛めました。陛下の名前を勝手に使ったと工事差し止めにでもなったらどうしよう、許可をもらうための手続きなど種々相談の末、両陛下がこれだけ島原の人たちのことを思っていてくださったそのお心を多くの方々に知っていただこうと掲載に踏み切りました。
 尚、念のため皇居奉仕団事務局長の元島和男さんにもこの旨を申して相談しましたところ「立派なことですね、皆さんのお気持ちは天皇皇后両陛下もきっとお喜びになりますよ。」と激励を頂きましたので、私たちも喜んで街路灯に掲示させて頂きました。このような苦労の一場面もあり、光永会長はいつまでたっても太れません。 
 そんなこんなで季節は巡り、[肥後なまり筑後訛(なまり)や春の市](広瀬釣仙)、初市とともに春が訪れ、春爛漫の陽気に誘われて、あなたも森岳の街並を散策して心ゆたかな時間を過ごされてはいかがですか。

         [森岳商店街 事務局 松坂昌應]

         

2011年8月16日 (火)

森岳まちづくりの会規約

森岳まちづくりの会規約

(名称)
第1条 本会は、「森岳まちづくりの会」と称す。

(目的)
第2条 本会は、森岳地区(島原市の旧市街・第一小学校区)の良さを再発見し、誇りをもって、「心ゆたかな時間を過ごせる街」の実現を目指す。

(事業)
第3条 本会は前条の目的を達成するために次の事業を行う。
 (1)  まちづくりの研究、調査、啓発活動。
 (2)  街並景観の保全。
 (3)  まちづくりイベントの企画・実行。
 (4)  全国まちづくり団体・個人との連携。
 (5)  その他目的達成のため必要な事業。

(組織)
第4条 本会の会員は、森岳地区を愛し会の目的に賛同する個人で、組織する。

(役員)
第5条 本会に次の役員を置く。
 (1)  代表      1名
 (2)  事務局長   1名
 (3)  会計      1名
 (4)  監事      1名

 (役員の任務)
第6条 役員の任務は次のとおりとする。
 (1)  代表は、本会を代表し会務を統括する。
 (2)  事務局長は総務を総括する。代表に事故あるときはその職務を代行する。
 (3)  会計は、庶務会計の事務処理にあたる。
 (4)  監事は、会計を監査し、総会に報告する。 

(連絡事務所)
第7条 本会は、事務局長宅に連絡事務所を置く。

(役員の選任と任期)
第8条 役員の選出は次のとおりとする。
 (1)  役員は、まちづくり会会員の中から総会で互選する。 
 (2)  役員の任期は2年とする。ただし、再任は妨げない。
 (3)  役員に欠員が生じたときは、補充を行うことができる。ただし、欠員により選出された役員の任期は前任者の残任期間とする。 
 (4)  総会で次の役員が選任されるまでの空白期間は前任者の任期とする。

(会議:総会)
第9条 総会は、まちづくり会の最高議決機関であって、適宜開催する。
2 総会の議事は出席者の過半数をもって議決とする。
3 原則として全ての議事は総会で議決する。

(専決:役員会)
第10条 役員会は役員をもって構成する。
2 予算の伴わない軽微な事柄は役員間の連絡(役員会)で調整する。
3 役員会は、総会の原案を協議する。

(運営費)
第11条 本会の運営費は会費、補助金、その他の収入を以って充てる。

(会計)
第12条 本会の会計年度は4月1日から翌年3月31日までとする。

  附 則
この規約は、平成16年4月1日から施行する。 

1997ふるさとづくり賞(レポート)

ふるさとづくり奨励賞 主催者賞 を受賞した時のレポートです。「森岳まちづくりの会」の草創期を報告しています。*****************************************

地域住民を巻き込んで商店街活性化
長崎県島原市 森岳まちづくりの会

サビレタ商店街に雲仙普賢岳噴火災害

 島原市の中央に位置する島原城は旧称を森岳城という。森岳城のすぐふもとには、私鉄の島原鉄道の島原駅があって、そこに広がる森岳商店街は昭和30年頃までは島原半島一の繁華街として栄華を極めたそうである。車社会へと変化していく時代の流れの中で、森岳商店街もまた全国によくあるサビレゆく駅前商店街の運命をたどり始めたのであった。
 「このままじゃいかん!何とかせねば!」と商店街の会長は、若手後継者を招集して一席を設け「青年部」を結成した。皆おおいに盛り上がり、危機感を持って「このままじゃいかん!何とかしよう!」と思った。とにかく、三日坊主にならぬよう、毎月3日には寄ろうということになった。平成3年5月のことだった。
 記念すべき第1回の青年部の会合は6月3日。忘れもしないあの大火砕流の大惨事に重なってしまい、それから悪夢のような日々が続いた。会合どころか、何人もの市民が逃げ出し、消費者は買い控え、ただでさえ景気の悪かった森岳商店街の各店にとって、厳しい試練が待っていた。今までの倍働いて、稼ぎは今までに追いつかない。直接の被災ではないから、援助はない。疲れた体にムチ打って降灰を取り除く、やっときれいにしたと思ったら又灰が降る。また水をまく。文字通り泥沼の日々、悪戦苦闘の毎日が続いた。


本物の危機感

 半年後、死線を乗り越えてきた森岳商店街青年部は、再び集結した。「このままじゃいかん!何とかせねば!」言葉は同じだが、その重みは十倍も百倍も違っている。それから私たちは、連日深夜まで議論を重ねた。金銭的にも時間的にも精神的にも、ゆとりは無かったが、かえってアルコール無しでもいきなりみんなで本音で話し合えた。危機感があったから、皆、個々でやらねばならないこと、一緒になってやらねばならぬことの区別が良くわかっていた。午後8時の会合時間に遅れて来る者がいても、誰も彼を攻めなかった。彼が晩御飯も食べずに仕事をかたずけて、駆けつけてきたことを知っていたからだ。
 当時私たちが描き出した構想は、『やがて噴火が収まれば、全国から観光客が溶岩ドームや火砕流のあとを一目見ようとどっと押しかけてくる島原城近辺にも観光客が来るだろう、その観光客を捕まえよう、歴史と文化の香りを漂わせ、観光客も受け入れられる商店街になろう!』というものだった。それからの私たちの活動は一気呵成であった。


先進地の視察研修

 毎月3日の夜の例会日を中心に議論を重ね、まず「視察に行こう」ということになった。観光といえば大分県の湯布院がすごいらしいと、森岳商店街青年部は、視察先に湯布院を選んだ。事前に、電話や手紙などで連絡を取り、3人の現地講師を手配して、旅のしおり(資料)を作成した。何を聞こうかとさんざん議論し、箇条書きの質問状を先方に郵送した。単なる物見遊山にしないぞという強い意志がそこに働いていた。そして3台の車に分乗し初めての視察旅行(1泊2日)に出発した。
 湯布院のまちづくりの先輩たちは私たちの熱意に応えて、たくさんの重要なことを教えてくれた。莫大な資本をかけるでもなく、何人かの地域を愛する人たちの情熱で、湯布院の街は動いていた。自分たちも頑張れば出来るかもしれないという手ごたえを感じて凱旋した。分厚い報告書も作った。
 必ず事前調査をし、先方で実際に頑張っている人に話を聞く、報告書を作る。このやり方で、その後も毎年視察を継続している。翌平成5年:熊本新町、平成6年:大分県日田市豆田町、平成7年:滋賀県彦根長浜、いずれも私たちの森岳地区の参考になる場所をと選んでいる。


森岳青空文化祭

 「子供たちに伝えたい昔あそび」をテーマに、小さなイベントを実施した。サビレゆく商店街の青年部が初めて世に問うた小さなイベントは、私たちの結束を強め、楽しくやって行けるという感触を与えてくれた大きな1歩となった。
 タケとんぼ作りに、子供たちの歓声が青空にこだまし、継続する噴火災害の降灰の合間の明るい話題として、地域の人たちに受け入れられた。


観光イラストマップが活動の資金源に

 私たちは、休むまもなく温めていた次ぎなる企画に乗り出した。観光おみやげ用イラストマップの製作と販売である。島原の歴史的文化遺産松平文庫に所蔵されている「寛政の島原大変図」に似せて、この度の雲仙岳災害を記録した「平成島原大変の図」。島原の観光名所をガイドするイラストマップ「うれっさたのっさ島原道中」の2種。
 この計画は観光客にも喜ばれ、活動資金も捻出できる一石二鳥のすぐれものだった。
 みんなで手分けして、調査をし、慣れない古文書を読み、仕上げは地元出身のプロのイラストレーターにお願いした。地元テレビ局も取材に来てくれて、30分の番組として放映された(ウイラブ九州)。このTV出演を契機に、私たちの森岳の劣等意識は逆に誇りに転化していったのである。この企画によって、私たちは地域の皆さんの支持と、地図の販売による幾ばくかの活動資金を手に入れることができたからである。


シニアアドバイザー派遣助成制度の活用

 商工会議所の経営指導員の方から、「熱心に勉強しているようだね、いい制度があるから使ってみれば……」と紹介があって、私たちはすぐに飛びついた。
 東京からいらっしゃったアドバイザーの方は、私たちの話をじっくり聞いて、島原の私たちの森岳地区に即してアドバイスをしていただいた。「地域の人たちを巻き込んで、活動をしなさい」というものだった。商店街という狭い範囲の発展にこだわっていた私たちは目からウロコが落ちた。
 2年目の視察地、熊本の新町は、まさに市民(一新まちづくりの会)と商店街が一体になって活動を進めていた。商店街の中に市民(お年寄り)が休憩できるバンコ(縁台)が並んでいるのである。商店街といえば、何かと消費に結びつく企画が多い中で心暖まるものであった。私たちはさっそく街なかにバンコを並べた。


阿波踊りがやってきた

 秋祭りに合わせて、本場徳島県阿南市から、踊り連の一行が島原を元気付けにやって来てくれた。無理にお願いして、青空文化祭の会場でも踊りを披露してもらうよう手配した。
 阿南の踊り連の一行は、早朝からいくつかの老人ホームなどを慰問して踊りを披露し、昼からの祭りパレードでも踊りまくり、さらに各商店街を訪問してくれた。私たちの会場に着いたころは、へとへとになっていらっしゃった。会場に持ち寄っていた例のバンコをかき集めてまず腰かけてもらって、用意した飲食物を提供した。(あとで聞いた話で、1日中立ちっぱなしで、特に女性は地べたに座り込むわけにもいかず、どこも歓迎して酒を振る舞ってくれたけど……森岳だけが座れる場所を提供してくれて本当に有難かったとのこと)一休みした一行は、夕暮れていく青空文化祭の会場で、この日1番の踊りを披露してくれた。私の胸に熱いものがこみ上げてきた。見ると仲間の頬にも光るものが流れていた。そのあと会場の全員が参加して総踊りになり、フィナーレとなった。


島原城に武者のぼりを上げよう!-「森岳まちづくりの会」誕生

 平成6年になっても雲仙普賢岳の噴火活動はおさまらず、私たちの地域の上流部にまで被害が及び、島原はいよいよ元気をなくしていた。しかし、もう私たちは前に進むしかなかった。「灰が降るからといって何もしなければ何も生まれない。とにかくやろう!」
 島原の元気印を全国にアピールしようと、島原城にコイのぼりを泳がせ、勇壮な武者のぼりを林立させよう!ということになった。既に商店街の枠を超えて、森岳地区を愛する何人かの市民が参加していた。役所に公有地(島原城)の使用許可を届けるに当たって、初めて「森岳まちづくりの会」の名前をつけた次第である。
 武者ノボリが島原城にマッチして、このイベントは大きな反響を呼び、噴火でくじけそうになっていた地域の人たちを勇気づけた。その後毎年回を重ね、今年3回目はさらにノボリの数が増え、参加者も会員以外のボランティア参加が多く一大市民イベントとして定着しつつある。


観光道案内運動と町並みウォッチング

 「気軽に道を尋ねてください」のステッカーを貼り出して、観光客に道案内を買ってでた。考えてみると自分たちの地域のことなのに、意外に知らないことが多い。そこで「島原ぶらりさる記」と称して街並みウォッチングを定期的に実施。自信と誇りを持って取り組むから、知れば知るほどますます島原のよさが再発見され、私たちの島原に対する愛着は並みのものではなくなっている。特に島原は[水]が素晴らしく、会を挙げて「水」の大切さを訴える様々な活動を展開している。


誇れるまちの誇れる仲間たち

 少ない紙面で、私たちの仲間の素晴らしさを伝え切れないことが残念である。1人ひとりが自分のできる範囲で、自分の特技を生かし、相当量の仕事をこなしている。家族の理解はもらっても、家庭サービスができないことを責められながら、苦笑いしながら笑顔でイベントや、会合に参加してくる。私は仲間たちからしばしば1人ではけして味わうことの出来ない感動を与えてもらう。こんな仲間たちを私は心底誇りに思っている。

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